【163日目】アジア最後のフロンティア、ミャンマーへ歩いて入国
バイクを売却し、またザック1つ担ぐバックパッカーに戻った。そしてようやくミャンマー入国となる。
2013年11月22日
久々に背負うザックはずしりと肩に食い込んだ。腰回りを固定するザックのベルトもきっちり締める。ザック1つで旅をする感覚が帰ってくるようだった。
2泊したホテルを出て、国境へと向かった。まだ朝の9時。上空ではヘリコプターが低空飛行で行きつ戻りつしている。ミャンマー人・タイ人も見上げて互いに何かを言っていた。どうも不吉に思える。
バイクがあるせいで苦戦した国境越えだが、身一つならば何も問題はない。ビザとパスポートがあればいい。
タイの出国を終え、ミャンマー入国手続きに移る。飛行機での入国と違い、僕らのように陸路で入国する外国人は多くないらしい。事務所に案内され、写真を撮られたり、なにやら書類を書かされたりする。今後ミャンマーを訪れる人が増えると、こういった手続きも合理化されるのだろうが、アナログなのも楽しいもんだ。
無事手続きを終え、国境から吐き出されるようにミャンマーへと放り込まれる。さっそくタクシーやホテルの客引きが群がってきた。日本人より少し背が低いようだ。
この町はタチレクという。
タチレクはビザがなくても1日であれば入国することができるため、タイに来た外国人旅行客が気楽に入ることができる数少ないミャンマーの町だ。ミャンマー国でありながら、通貨はタイのバーツを採用している町でもあり、実際、僕らもバーツだけで事足りた。これだけでも国境の町が、いかに独特な文化や情緒を持っているかが想像できると思う。
群がる客引きをすべて断り、重いザックを揺らしながら大通りを歩いた。日陰を見つけ、通りがかるトゥクトゥクを待つ。客引きに熱心なドライバーより、流しのドライバーの方が価格も、精神的にも穏やかに乗ることができるものだ。
↑タイの出国審査を済ませ、ミャンマー入国へ。左車線道路から、右車線への切り替えポイントでもある。
↑国境前の大通り。大きなザックが目立つ。
↑タチレクの町。バイクは中国製が多いらしい。
そのうち、トゥクトゥクではないが、軽トラの荷台に屋根を付けた車が止まった。荷台に長椅子があり、バスとして使われているらしい。ドライバーに「Airport」と伝えると、うんうんと頷いた。手際よくザックを荷台の屋根の上に放り、僕らは荷台に乗り込んだ。
市場からの帰りなのか、飲み物やお菓子などを箱で持ちかえる女性たちが数人乗っていた。買い物ではなく、市場で売った在庫なのかもしれない。とにかく陽気な人たちで、日本から来たというと、嬉しそうに笑ってくれた。ところが、妙なところで雲行きが怪しくなる。
「どこにいくの?」と女性が尋ねてきた。「空港」と伝えると首を傾げる。走り初めて5分くらいたった頃だった。「このバス、空港行かないよ」と言うのだ。女性はドライバーにそれを伝えてくれた。ドライバーは申し訳なさそうに頭を掻きながら、屋根の上のザックを降ろす。
――振り出しに戻った。というか、中途半端に走ってきてしまって、現在地も分からない……。
がっかりしていると、女性が道端にいた男に声を掛けた。ビルマ語で何かを言っている。恐らく「この日本人たちが空港に行きたいらしいから、空港にいくバスに乗せてやって」といった内容のことを伝えてくれたらしい。その証拠に男は僕らの横に立って、バスが来るのを一緒に待ってくれた。
空港行きのバスを見つけると、手早く乗せられて、僕らは無事空港に行くことができた。
↑各国の時計が並ぶ空港(ちなみに国は、シンガポール、バンコク、ミャンマー、世界標準時、東京)
↑ここに飛行機が離着陸する。
↑僕らが乗った飛行機。サービスよし!
↑まるで水墨で描かれた山水画。良い景色だった。
小さな空港で、1時間遅れでやってきた飛行機に乗ってヤンゴンへと向かった。ヤンゴンは、いかにも貧しいタチレクに比べて、遙かに大きく栄えた町だった。