【173日目】僧侶の眉間とアイスクリーム
ミャンマーの僧侶、ウヴィセイタが住む僧院に泊めてもらって2日目。明日の出発を控えて、夕方僕らはアイスクリーム屋にやってきた。
2013年12月2日
僧侶ウヴィセイタ
ウヴィセイタの家には毎日いろんな人がやってくる。
↑左がウヴィセイタ、右から2人目がアイスクリーム屋さん
国民の多くがまじめな仏教徒であるミャンマーでは、当然僧侶という人たちは強い尊敬を集めている。日本で ”坊さん” を尊敬しているのは地域に長く住む老人くらいの印象だが、ここでは本当に若い人も、僧侶を尊敬しているのだ。
それも口だけじゃない。20代の若者が「ヤンゴンに旅行に行ったから」と言って、ウヴィセイタのもとに土産物としてケーキを持ってきたり、「ぜひ食べて欲しい」と昼食のカレーを山ほどもってきたりするのだ。そういう光景を僕らは何度も目にした。
そうやってやってきた女性の1人がアイスクリーム屋さんを営んでいるという。しかも最近オープンしたばかりだという。オープン記念でウヴィセイタと他の僧侶が3人アイスクリームを食べている写真があった。
僧院での最後の夜。ウヴィセイタが僕らをアイスクリーム屋に連れて行ってくれた。お店の女性が「ぜひ日本人らを連れてきて欲しい」と言っていたらしい。ありがたい限りだ。
アイスクリームには17時頃ついた。アイスクリーム屋の実家は家具屋だというだけあって、お手製の家具はセンス良く、店内はミャンマーには珍しい間接照明などを活かしたオシャレな作りになっている。
店の女性は淡々といろんなものを出してくれる。アイスを食べに来たつもりだが、揚げ物やサラダなども出てくる。メニューにあるわけでもなく、おもてなしとして出してくれているようだ。
ウヴィセイタはこれらに手を付けない。僧侶は12時以降の食事は(原則)禁止されている。
――ところが、だ。
ウヴィセイタの手元にアイスクリームが出される。――まさか仏教徒と仲の良いこの女性が午後は食事を食べられないという規則を知らないわけもあるまい。
僕らはその話題に切り出せないまま、なんとなく横目で見ていた。「大事な友達が出してくれたものだから、食べるかもな」と、そんなことを何となく考えていたが、ウヴィセイタは食べない。
しかし、5分か10分ほどたっただろうか、アイスが溶け始めると、溶けた部分を食べ始めた。溶けてない部分もスプーンで潰し、溶けると口へ運ぶ。
ああ! そうだ! 食べるのは禁止だが、飲むのは禁止されていないのだ。
って、そんなことなのか? ともかく人間味溢れるウヴィセイタは溶けたアイスをすべて食べきった。
↑ウヴィセイタの家に集まり、テレビを見る若い僧侶たち
↑ウヴィセイタはタブレットを持っていて、それで電話をしたりする
↑ウヴィセイタの食卓。ここでちうも食事をとる
↑僧侶の袈裟を干している
本当にウヴィセイタは暖かい人なのだ。
「眉間の皺」という言葉がある。誰でも苛立てばそこに皺が寄る。長年それを繰り返せば、皺が癖になり、眉間に皺の跡ができる。それは苛立ちだけではなく、苦悩、後悔、怒りなどいろんな感情で出来るものだから、あることが悪いわけではない。それどころか、ある種の深みとして、一層魅力的になることもある。
ウヴィセイタにはそれがない。
眉間に皺が寄っていない。
彼が住むメーティラという町は少し前にイスラム教徒と仏教徒が衝突して、大規模な火事などがおこり、死傷者も多く出た町だ。苛立ち、苦悩、怒りがないわけがない。
彼がそのことを語るとき、眉間に皺を寄せるのではなく、極めて自然に「暴力はよくない」と口からこぼすように言う。不用意に感情を表に出さないのかもしれない。
その真意は分からない。仏教徒についての一般論なども分からない。
だけどウヴィセイタは魅力的だと思う。