【193日目】瞑想特集5:10日の流れ(後編)

瞑想修行も後半に突入。ひたすら辛かった最初の5日間を経て、迎えた後半戦。

6日目

途中脱落者が1番で安いのが3日目と6日目と聞いていた。瞑想への指示は少しずつ加えられるが、基本的な考え方は変わらない。ひたすら全身の感覚を観察し続ける。

体の疲れもピークに達し、1時間も動かないで瞑想するなど不可能だと確信。先生は「急に楽になる人もいれば、段々と楽になる人もいる。今、楽じゃないのだとしたら、まだ楽になる時が来ていないだけ。焦らない焦らない」という感じ。

瞑想の辛さとは反対に夜に聞く講話はどんどん面白くなる。この講話では瞑想の目的や哲学的背景を教えてくれる。また仏教との関わりも説明してくれる。堅苦しい話ばかりではなく、たとえ話を交えてくれるので、凄く分かりやすい。良い休憩にもなるし、この講話は本当にありがたかった。

誰にでも大事な教えを1つ共有しよう

物事にはいつも3つのステップがある。それは
1.        知ること
2.        理解すること
3.        経験すること
である。例えば心を浄化する方法について、本を読むことでそれを知ることはできる。それを頭の中で整理し、自分なりに納得し、理解することもできる。しかし自分で経験するまで「自分のものにした」とは言えない。

これは瞑想とは関係なく、大事なことだと思う。本屋に行くと「効率的に仕事をする方法」みたいな本がたくさんあるけど、知って満足している人が多いと思う。理解し、経験しなければ意味がない。

7日目

初めて1時間、動かずに瞑想ができるようになった。

突然背中の痛みがなくなった。本当に唐突に……。まだ膝に痛みがあるものの、それも冷静に観察できる。痛み自身を他人事のように、客観的に眺めている感覚。痛みはそこにあるが、自分の痛みじゃない。痛いけど、痛くない。説明が難しいが、とにかくそういう感覚だ。

急に瞑想が楽しくなる。ふと集中力も高まっていることにも気が付く。

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僕が泊まっていた部屋

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毎日この道を通って、部屋から食堂に移動する。

8日目

相変わらず痛くない。集中力は長く続く。後で沈黙ルールが解禁されたとき、他の人が「まるで超能力でも使えるかと思うくらい、集中力が高まった」と言っていたが、その表現が近いように思った。

腰の痛みは消え、膝の痛みはあるが、痛くない。瞑想が心地よい。ただ先生には「瞑想を気持ちいいと思ってもいけない。渇望は苦悩である」と諭される。なるほど。

9日目

実質、最後の日。10日目は沈黙ルールは解禁される。最後の1日は他の修行者とコミュニケーションを取り、社会に戻るための準備期間となる。

先生の言葉を借りると

今回のような長期間の深い瞑想は心の大手術のようなもの。傷口を切って膿を出すのと同じ。膿は出さなければならないが、傷口を開けたままにはしておいては、かえってばい菌が入っていく。そのため、最後の1日は傷口を覆い、心を休める日。瞑想はあるが、少なくなる。他の修行者とも会話をしていい。外に出て行く準備をしなさい。

とのこと。言い換えれば、こうして1日中深く瞑想ができるのは今日が最後。がんばろう! と気持ちよく朝を迎えた。集中できるように食事を控え、瞑想の開始前にホールに行き、1人瞑想を始める。

瞑想が楽しいが、楽しむことは渇望であり、渇望は新しい渇望を生み、それがやがて苦悩に変わる。自分が瞑想を楽しんでいることを、客観視し、楽しんでいることを観察する。表にも出さず、心の中でも反応しない。「ふぅん、俺は楽しんでるのか」と冷静な目で見る。先生にそう言われるのだが、ようやくその意味が分かり、実際に実現できたのがこの日だと思う。

10日目

朝の瞑想を終え、沈黙ルールが解禁となる。

瞑想ホールを出て、一斉にお互いに挨拶を始める。10日間、寝食を共にし、同じ修行に明け暮れ、同じ背中の痛みや膝の痛みに苦しみ、そもそも瞑想に参加するという同じ興味や心境にある仲間たちだ。それほどまでの共通項を持ちながら、10日間という長い時間、自己紹介もしないで過ごしてきたのだ。

面白いのは、10日の間に他の人に対して「あの人はきっとこういう人だ」「きっとおしゃべりだな」「明るい人に違いない」「勤勉家だなァ」と、話したこともないのに、相手の一挙一動から勝手に想像していたキャラクターというのが、話をしても崩れなかった。つまり言葉を一度も交わすことなく、相手のキャラクターとか性格と呼ばれるものは分かるんだな。

この日は食事も和気藹々とし、まるで修学旅行のような、何か大事なものを共有した仲間たちとの交流を楽しんだ。

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一緒に修行した仲間たち

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修行を終えて帰っていくベトナムの尼僧

一応瞑想の時間はあるのだけれど、他の日よりも少なく、楽ちん。むしろ、沈黙を徹底し、瞑想だけに没頭していた日々を切望するような思いさえあった。

こうして僕らは10日間の修行を終え、久々にMiaとも話をし、お互い何も変わっていないような、一皮むけたような、不思議な気持ちで締めくくることになった。

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