【197日目】インディアンドリームとカースト制度。
アメリカンドリームならぬインディアンドリームと、カースト制度について。
2013年12月26日
インディアンドリームという言葉がある。
アメリカンドリームと言えば(本来の意味から少しずれるが)「経済的に大逆転で成功する」「貧しい状態から、チャンスを掴み成功する」といった意味だが、同じような意味でインディアンドリームという言葉を聞いた。
アメリカンドリームは「アメリカの民主主義・平等などという理想をベースに、誰にでも成功のチャンスがある」ということを指しているのに対して、インディアンドリームというと少しニュアンスが違うようだ。僕の聞いた印象では「(本来は乗り越えられない)カースト制度の壁を越えての成功」をインディアンドリームと呼んでいるようだ。
カースト制度
カースト制度という言葉を知らない人はいないだろう。小中学校辺りの歴史の授業で習ったはずだ。恐らくこんな書き方をされていたのではないだろう?(記憶が曖昧だが)
カースト制度とはインド(あるいはヒンドゥー教)で、人間を階級別に分け、階級で決められた職業にしか就けない制度のことである。また別の階級同士の結婚はできず、子は親の階級を継ぐ。1950年にインドではカースト制度が廃止された。
また、もう少し突っ込んで説明すると、カースト制度はヒンドゥー教と密接に関連している。ヒンドゥー教によれば、人間は前世の行いが良ければ高い階級に、悪ければ低い階級に生まれ変わると教えられている。つまり
高い階級にいる人は前世に行いをしたからであり、低い階級の人は前世に悪いことをしたからである。自分の行いによるものだから、階級を受け入れて、この人生で徳を積み、次に生まれるときは少しでも高い階級に生まれよう。
というわけだ。物乞いに生まれた人は、前世で相応の悪事をしたというわけだ。
さて、詳しい話を知りたい人は調べてもらうとして、僕は学校で習ったとき「1950年に廃止された制度」であり、過去の遺物である、と理解していた。ところが、現代のインドでもはっきりとカースト制度は残っている。廃止されたのが嘘のように、目に見えて残っているのだ。
「ああ、あの人はこういうカーストで、僕より低いよ」
「あの人は同じカーストだよ」
という台詞をいくらでも聞くことができる。善し悪しはともかくとして、カースト制度の理解を抜きにして、インドの文化を理解することは出来ないと思う。
スジャータ村という貧しい村。
ここはまた別の村だが、子どもたちは元気だね
作りかけのまま放置されている建物
農村の風景
インディアンドリーム
そうはいっても、カースト制度の壁を乗り越えるインディアンドリームも増えている。あるホテルのオーナーに話を聞くことが出来たので、それを紹介しよう。
「僕は農民として生まれた。家には壁もなくて、地べたに寝ていた。でも勉強して、ガイドの仕事を始め、貯めたお金で小さなチャイ屋を始めた。やってくる観光客から英語や日本語を教わり、外国から来るお客さんを相手に仕事をした。チャイ屋でお金を貯めて小さなゲストハウスを始めた。最初はお金がなくて4部屋しか作れなかった。そこでまたお金を貯め、少しずつ部屋を増やし、今では4階建てのビル全部がゲストハウスになった」
今では彼はゲストハウスに加え、お土産やなども開いている。大成功と言っていい。こういう話は少なくない。最初は元でのいらないガイドの仕事、次に少し貯めた金でチャイ屋などを始め、土産物屋やホテルなどとステップアップしていく人が少なくない。
カースト制度がはっきりと残るこの場所で、それを実現することは容易ではない。でもある人が言っていた。
「今は勉強して、チャンスを掴めば成功できる。やる気があるかどうか」
つい、親の世代までは「カースト制度が絶対」で、生まれ変わる以外に良くなることはあり得なかったインドだ。カースト制度を越えてチャンスを掴もうと必死になっている人が増えているのかもしれない。
何十年かすると、この意気込みがインドで大きな産業を生むかもしれない。経済的にドンドン伸びるかもしれない。
そんな面白みをインドに感じた。