【216日目】初めてのガンジス川は生活と信仰の場だった
宿について早々「明朝はガンジス川沿いでお祭りです」と告げられる。なるほどラッキーだ、と「何時から?」と尋ねると「朝の4時」とのこと。ちょっと早すぎる早起きなのだけど、そのお祭りとやらに顔を出してみることにした。
2014年1月14日
バラナシと言えばガンジス川。言い換えれば、観光スポットというのは多くないようだ。そんな中、宿のスタッフに「朝の4時からガンジス川のお祭りだ」と言われたわけで、それはいかなけりゃならんだろう、と眠い目を擦りながら日も昇らないうちからガンジス川を目指した。
バラナシのガンジス川沿いはとにかく細い路地が入り組んでいる。両手を広げると優に両側の建物に手が届く、石畳の路地である。僕らの宿はその迷路のような路地の中にある。昨晩はオートリキシャで入り口まで付けてもらったので、どうやってここまでやってきたのかも分からない始末。慣れれば路地は近道として味方になるが、初日の僕らにとっては迷路の真ん中に突然投げ込まれたような状態だった。
何となく川があるはずの方角に向けて歩き、朝早くから起きて活動している現地の人に尋ねつつ、僕らは無事ガンジス川に辿り着いた。
祭りの気配はない。いるのはこんな時間から客引きをしているボート漕ぎだけ。僕らは適当なボートに「日が昇ったらボートに乗せて」とお願いし、日が昇るまで行き交う人々を眺めていた。
カメラを下げて、ダウンを着込んだ、いかにも観光客という風貌の僕らに沐浴中の若者たちが絡んでくる。が、あまりの寒さか、絡んでくる彼らも切れがない。
この人が1番切れていたかもな。
朝のガンジス川沿いの様子。ボートの客引きと沐浴を済ませた人たちがほとんど。
あんまり人が絡んでこず、割と和めた。
船に乗ってご満悦。
ちゃんと沐浴している人たち。若い人たちは祈るより、泳ぐことに夢中。あるいは身体を洗う方がメイン。
若い人たちは寒くて震えたりする。すごいな~。
お祭りなのか分からないけど、とにかく中心地に近い場所は人が多い。
後ろの漕ぎ手は最後まで静かだった。
中心地から外れると、静かで居心地が良い。
どんなに疲れても表情が変わらない素敵な漕ぎ手
川沿いには火葬場もある。ここで遺体を燃やし、川に流す。火葬場は撮影禁止なので、火葬に使う木材を浮かべた船。
船から見るとまるでヨーロッパの波止場のよう。カラフルで洒落た雰囲気。
建造物もきれい。
結局、お祭りがあったのか、なかったのか、僕らには分からなかった。確かに朝から人が多かったので、もしかするといわゆるお祭りではなく「みんながガンジス川に沐浴しに来る日」なのかもしれない。
このエリアを「ガンジス川しか見るべきものがない」と思うか「面白いものの宝庫」と見るかは、視点と興味で変わってくると思う。川そのものは川だ。日本にだって川はある。神聖な川だと言われても虹色に輝くわけでもなく、むしろ汚いくらいだ。
ガンジス川そのものを見るのではなく、そこに集まる人を見ていると飽きない。川沿いを歩いていれば、洗濯したり、身体を洗ったり、泳いだり、祈ったり、遺体を流したり、糞を流したり、歌ったり、踊ったり、凧を上げたり、絵を描いたり、商売をしたり……、と数知れない生活と信仰の片鱗を見ることができる。
僕らはバラナシにいる間、1日に1度くらいはガンジス川沿いに腰を下ろし、行き交う人々を眺めていた。それだけでも楽しいものだ。