【219日目】ガンジス川の一景:ヒンドゥー教の死の現場

ガンジス川沿いでよろけて倒れそうな老人を、若い男が左右から二人で支えている。酔っ払いかと思ったが、どうもそうではないようだ。ガンジス川沿いの風景を紹介。

2014年1月17日

もう川の向こうに日が落ちつつある夕刻。よろけて倒れそうな老人がいた。すばやく左右に回り込んだ青年2人が黙って老人を抱え、どこに行くわけでもなく老人の動きに合わせて、ただ倒れないように腕に力を込めている。

最初、この老人が酔って千鳥足にでもなっているのかと思った。好きな小説に「酔歩する男」という作品があるのだが、そのタイトルが頭に浮かんだくらいだ。まさにその酔歩する男を僕らはまじまじと見ていたのだが、どうも様子がおかしい。方を揺らし、嗚咽にも似た声を漏らしている。

老人は泣いていた。始めは声を殺して、次第に殺しきれない声が喉から漏れ、しまいには声をあげて泣いた。

ガンジス川沿いには川へ降りる階段がいくつもある。それらはガートと呼ばれ、沐浴や洗濯をする際に使われる。いくつもあるガートのうち2カ所に火葬場がある。1つは中心地に近く、インドの火葬を見ようとする観光客で溢れている。もう1つは、観光客のいない下流側の隅っこの、今僕らがいる場所にあった。

その老人の背景には煙をあげた火が燃えている。ちょうどこの時、亡骸を乗せていると思われる担架が運ばれてきた。老人はチラリと担架を見やり、遠くにいる僕らにも聞こえるほどの声で泣いていた。そしてまたよろけて倒れそうになっては、それを左右から支えられるのを繰り返した。

担架はまずガンジス川に浸けられた。老人はそこに近寄るわけでもなく、数メートル離れた場所で泣き崩れている。遺体は聖なる川であるガンジス川で清め、それから火葬するらしい。

最初によろけた老人を見て、通り過ぎるまでの1~2分の出来事だった。火葬場を、あるいは遺体を焼くその現場を、観光地として眺めることはあまりにいたたまれなく、僕らはそのまま通り過ぎた。

※写真はガンジス川の風景。火葬の場から少し下流側の様子だ。

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素敵なインド音楽を奏でる2人。

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壁には絵が掛かれ、古い建築物の様子と、現代的な芸術が織り合わさる。

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絵描きもいた。上手だが、何度見かけてもずーっと川の部分を塗り足しているように見えた。

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下流側から上流を見た様子。上流に行くと人が少ないのが分かる。

ガンジス川における “死” の観念は、僕らが簡単に理解できるものではない。

遺体はまずシヴァ神を祀る寺に安置される。ヒンドゥー教の破壊の神であるシヴァの名を死者に聞かせるのだ。そして遺体はガンジスの水に浸け、燃やし、川に流される。これにより人は解脱に至ると考えられている。つまり救われるということだ。

ガンジス川の近くには死を待つ館がある。死期が近い人が死ぬまでそこに滞在する場所だ。そこでは24時間、途切れることなく神の名が唱えられている。これは死ぬ前に最後に聞く言葉が神の名であるように、との配慮らしい。

こうしてガンジス川で火葬がしたい、とインド中から遺体が集まる。そのため24時間体制で火葬は行われる。

「ガンジス川で火葬されることで救われる」

そう宗教心では理解していても、やはり大切な人が亡くなれば悲しい。

インドの、ヒンドゥー教の、悲しくも意味深い場面に遭遇した日だった。

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