【229日目】孤児院へお礼を!インド人少年らへプレゼントと言えば……。
1ヶ月半も延々滞在し続けているブッダガヤともお別れの日を明日に控え、いつも一緒に遊んでくれた孤児院の子どもたちに何かプレゼントを、と頭を悩ませていた。そして、買ったのは? 喜んでくれるのか?
2014年1月27日
1ヶ月半の滞在中、時々フラフラと孤児院に遊びに行っては、食事をご馳走になったり、チャイをもらったり、話し相手になってもらったり、とお世話になってばっかりだった。
何かお礼をしなければ!
そう思い立って、孤児院について詳しい人に尋ねてみた。
「なにをあげたら喜ぶかな? 文具とかノートとか、そういうものはどう?」
「日本からの援助があってその辺は足りてるはずだから、遊び道具とかの方が……」
インド人の遊び道具……、ふむ……、ああ! クリケットだ!
空き地があって、子どもがいれば、100%そこではクリケットが行われているのがインド。孤児院の子どもたちも毎日毎日学校が終わるとクリケットをやっている。道具が古くなり、壊れているのをどうにか直して使っているという状況なのは知っている。
孤児院の責任者でもあるディベンドラさんに、クリケットの道具をプレゼントしたい旨を事前に相談。「そりゃ喜ぶよ!」とのこと。ひたすら気の優しいディベンドラさんは「ありがとう、ありがとう」と繰り返し言っていた。
「よし、クリケットの道具を買いに行こう」
僕らだけで行ってはぼったくられるかもしれない。というわけで、地元の若い子を連れて行く。
「友達の店で売ってるから、そこに行こう」
買いに行く直前、案内人の若い子が孤児院の子どもたちに「この人たちがクリケットの道具を買ってくれるって」と口を滑らせる。その途端、孤児院中から絶叫にも似た歓呼の声。まだ声変わりしてない男の子らの、威勢のいい黄色い声が耳にささる。
まだ買ってもいないのに、こんなに喜んでもらって悪いなァ。
さっそく町へと買い出しに行く。近道だ、と案内人は川を渡る。僕らも仕方なしに川を渡る。そして辿り着いたのは、誰かの家。
「表の店は狭くて在庫があんまり置いてないから、家にある在庫から選ぼう」
なるほど。
こんな感じで道具が所狭しと並んでいる。
僕らにはまーったくクリケットの道具の善し悪しが分からないので、まるで気前のいい親戚のおっさんのように「好きなのを選びなさい」と子どもに選ばせる。
選ぶ子どもの顔は真剣。何しろ1度買えば、それを長く使う事になる。彼らにとっては重要事案なわけだ。欲しい物を決めると、勝手に値切り交渉もしてくれて、ボールなどの小物も買いそろえ、お買い上げ!
よく分からないが、買ったバットを眺める。違いが分からんが、良いものらしい。
帰り際、孤児院の一員である、案内人の男の子は「持って帰っていい?」と目を輝かせている。
「だめ」
というのも、孤児院を運営するNGOの代表であるシッダールタさんに手渡したかったのだ。これは彼へのお礼でもある。男の子にもそれを説明し、「シッダールタさんから受け取って」と伝えると「(チェッ!)」という感じで心の中の舌打ちを露骨に表情に出して、帰っていった。
すぐに渡さなかった理由はもう1つ。
どうせ渡すなら、何かメッセージを書いて渡そう! そう思った。そして同じゲストハウスに泊まる日本人たちにも一筆お願いして、落書きだらけになったクリケットの道具をシッダールタさんに渡しに行った。
「文武両道」勉強しろよってこった。NPWSフリースクールの略称。
ボールなどにも “NPWS” 。なくさないようにね!
事前に決めていたとおり、僕らはシッダールタさんの家を訪ね、クリケットの道具をプレゼントした。この日シッダールタさんは体調不良で寝込んでおり、こういうイベントには不適切だとは思ったが、なにしろ明日の早朝に発つ身、静かに手渡してその場を去った。だから写真はない。
シッダールタさん宅からの帰り際、思いついて夜の孤児院に忍び込んでみた(もちろん、こういうことが許される間柄になっている、あしからず)。
子どもたちは6~8人部屋くらいの相部屋で生活している。その1つ1つを開けて周り
「明日の朝、僕らはここを去るんだ。君らへのプレゼントにクリケットの道具を買って、シッダールタさんに渡してある。たぶん数日中には持ってくるだろうから、楽しみにしていてネ。――もし待ちきれないなら、取りに行っちゃいな」
と伝えた。例外なく彼らは宿題に取り組んでいる真っ最中だった。幼い子らは頭を寄せ合い、一緒になって宿題に取り組み。中学生くらいの子らは、それぞれのベッドのスペースでノートを開いていた。そして僕の言葉に「ありがとう!!」と返してくれた。
実はあと1度だけブッダガヤに来る予定がある。
これから1ヶ月ほど南インドを旅したあと、短期間ではあるけれど、ここブッダガヤに帰ってくる。日本から届く荷物を受け取るためでもあり、ネパールへの足がかりとして、利用しようという思惑だ。
そのとき、子どもたちが僕らのバットを振っていてくれたら、と淡い期待を胸にその日は寝た。