アンナプルナ7日目〜最高の山岳料理人シェルパ族の料理を食べる
アッパーピサンの村に住むシェルパ族の料理人と仲良くなりました。そこで、彼の勧めるピサンベースキャンプを目指したデイハイクにも挑戦!
288日目(2014年3月23日)
ここアッパーピサンの村の標高はすでに3300mほど。ほとんどの人は先を急ぐのですが、僕らはこの村が大好きになり、1泊余計に泊まることにしました。そして宿の従業員が勧めてくれたピサンベースキャンプという場所を目指して、デイハイクをしようというわけです。
そしてその宿の従業員というのはシェルパ族の人で、今は山の中で料理人をしているという面白い経歴の人。その人についてもご紹介します。
大きな寄り道でピサンベースキャンプを目指す
さて、今日の目的地のピサンベースキャンプ。標高は約4300m。3300m地点から登り始めるので、一気に1000mを登ることになります。
そのスペックだけ見ると大変なコースではありますが、ため息が止まらないほどの絶景が延々と続きます。下の写真ですが、向こうに見える雪山もたしか6000mを越える山。向こうの山で起こった雪崩を2度ほど目撃しました。地響きのような、唸る低音が聞こえ、山に目を向けると大きな雪崩。そして雪が舞い上がり、その周りが真っ白く霧に覆われたようになります。
延々と登り続けること3時間。初めはまだ鬱蒼と木の生える森林地帯だったのですが、尾根に出ると一気に木がなくなり、茶色くなった草ばかりに。そして強風。
思ったよりも身体が動かない標高4000mの世界
尾根を歩き、いつしか4000mを越えます。もう日本で1番高い富士山の標高も超えています。高山病にはなっていないものの、想像以上に身体が動きません。
少し、ほんの少しだけ、例えば5歩もスキップすれば息が切れます。ゼイゼイと肩で息をしなければならなくなります。そして頭の回転が凄く鈍っているのにも気付きます。試したわけじゃありませんが、暗算テストなどをやったら酷い成績になるのは確実です。
結局ぼくらは時間がなくてピサンベースキャンプまで行き着くことができませんでした。あとで聞いたところでは僕らが辿り着いた場所からベースキャンプまで目と鼻の先だったようです。諦めず、もう少し行けば良かったのかもしれませんが、あくまでこれは寄り道のトレッキング。辺に無理して怪我や事故は避けたかったので、安全をとりました。
とにかく僕らが登った1番高い場所、恐らく4100~4200m地点は想像以上の過酷な環境です。風は止まらず、頭は働かず、身体も満足に動かない。でも、一方でその景色はもう……。言うことがありません。
寄り道のデイハイクではありますが、初めて来た4000m越えの景色に感動し、思わず涙が出そうになるほど。僕らはそこでしばらく座り、持ってきていた暖かいお茶を飲み、マーズ(スニッカーズみたいなやつ)を食べ、ぼんやりと景色を眺めてました。
降りる途中、僕らの歩きたいところをヤクが通せんぼ。
向こうも滅多に見ない人間に驚いたのか、身体が強張って動きません。普段見かけるヤクは人間慣れしていて、ほとんど眼中にない様子なのですが、こいつはずいぶん怯えています。
普段は大人しいヤクですが、強いつのを持っているわけで、襲いかかってきたらひとたまりもありません。しばらく睨み合いのまま動かないことにしました。
そのうち、向こうが諦めて写真の右側の崖の方に駆け下りていきました。逃げていった方角を見ると、他にも数頭のヤクが……。凄い環境で生きているものです。
シェルパ族の料理人のソナンさんが作る料理
さて、僕らが止まっているアッパーピサンの宿は Yak&Yeti といいます。そこで働くスタッフ(1人しかスタッフがいません)はなんとシェルパ族の人。シェルパって聞いたことありますか? エベレスト登山などのテレビやニュースを見たことがあれば、言葉くらいは聞いたことがあるかもしれません。
Wikipediaを見てみましょう
シェルパの祖先はその名が示すようにもともとはチベット東部地域に居住していたが、17世紀から18世紀にその地を離れ、南に横たわるヒマラヤ山脈を越えて、ネパールに移住してきたとされる。この地は寒冷な高地であり本格的な農業は難しく、19世紀までは主に放牧や他民族との交易で生活していた。
20世紀に入り外国人のヒマラヤ登山が始まると、シェルパは高地に順応した身体を買われて荷物運び(ポーター)として雇われるようになった。その後、登山技術を磨いた彼らは案内人(ガイド)としても雇われるようになり、今では彼ら無しではヒマラヤ登山は成立しないと言われるほど重要な存在となっている。
そんなシェルパの料理人。名前はソナンさん。もともとはエベレスト登山をする登山家の料理人をやっていたそうです。つまり超本格の山岳料理人です。今は仕事を求めてこのアンナプルナエリアにやってきて、この宿で料理人をしています。
そんな彼が作る料理は本当においしい。しかもトレッカーの気持ちが本当によく分かるようで、量もケチらない。おいしいものを存分に食べさせてくれます。しかも気前よく、リンゴをくれたり、作っていたお茶を飲ませてくれたり、他の宿ではありえない優しさと気配り。
彼は困った人を助けずにはいられない人らしく、決して裕福ではないのですが、トレッキング中に現金がなくなったトレッカーのためにお金を貸したりもしています。ちゃんとトレッキングを終えたあとで、お金は返してもらえたようで、嬉しそうに笑っていました。
最高の山岳料理人が作る “揚げアップルパイ”
彼の人の良さと、料理のうまさに惹かれてアップルパイも追加注文!
「オーブンがないから普通のアップルパイは作れないんだよ~」と愚痴りながらも、リンゴを生地で包んで、油で揚げた “揚げアップルパイ” を手際よく作ってくれました。
これがまたおいしくて、翌日の行動食としてテイクアウトしてしまいました。実はヒマラヤの山中はリンゴが有名だったりします。それが理由なのか、アップルパイもおいしいのです。
本当に気のいいソナンさん。
アッパーピサンの村は美しい、この宿の主人も信心深い優しい人、でもこのソナンさんがいたから、ぼくらはこの場所が好きになったんだ、と心の底から思います。彼にまた会いに行きたいな。
このエリアを歩く人はぜひソナンさんに会いに行ってください。そして彼の言葉に耳を傾けてください。いろいろ丁寧にアドバイスをしてくれますよ。
[…] ぼくらがヒマラヤのアンナプルナ・サーキット・トレッキングというコースを歩いたときのことです。まさにこの作品の舞台となったアッパーピサンという村に滞在していました。宿のオーナーは老夫婦で、彼らは英語を話せないからか、年齢が年齢だからか、若い男性を従業員として雇っていました。その男性というのは、このブログでも紹介したことがあるソナンさんという、シェルパ族の料理人です(参照▶アンナプルナ7日目〜最高の山岳料理人シェルパ族の料理を食べる)。 […]