嫌だけど先生になるしかない…… 仏陀誕生の地に学校を作った僧侶

まだぼくらがインドのブッダガヤにいたときのことです。

毎日のように通っていたお気に入りのレストランで、ひとりの僧侶と相席になりました。ぼくらの2倍も3倍も食べるその僧侶は、愛想良くぼくらとの雑談にも付き合ってくれて、「ネパールに来るときは連絡して」とFacebookのアカウントを交換しました。

その僧侶、ラメッシュさんはブッダが生まれたネパールのルンビニ出身でした。

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ぼくらがルンビニに行くと「紹介したい人がいる」と言って、ある小さな学校へと連れて行ってくれました。


ルンビニの端にある小さな学校

周囲は泥を固めた家が数軒あるだけで、あとは草原と森に囲まれた場所です。そこで紹介されたのがサキャプッタさんでした。ルンビニ出身の僧侶で、とつぜんやってきたぼくらに対しても静かな口調で、「どこから来たんですか?」「日本では何をされていたんですか?」と丁寧に丁寧に話をしてくれる、優しい目の人です。

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サキャプッタさんの活動がすばらしいものだったのです。この記事では彼の活動についての一端をご紹介したいと思います。

ボランティアの力で学校を立ち上げた

サキャプッタさんは10年ほど前にこの場所でボランティアによる学校を立ち上げました。貧しくて学校に通えない子どもたちのための学校です。

生徒から決まった授業料を取ることはありません。すべて寄付でまかなっており、生徒の家族に対しても「授業料は払えるなら払ってほしいが、無理ならお金はいいから子どもを学校に通わせてあげてほしい」とお願いしたそうです。周りからは「そんなのうまくいくはずない」と止められたそうですが、今では先生の給料の80%ほどをこの寄付金でまかなっているとのこと。

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サキャプッタさんの1番やりたくない仕事は教師でした

サキャプッタさんは学校の先生にだけはなりたくないと思っていそうです。小さな子どもが騒ぐ教室で、何かを教える自分を想像すると耐えられなかったとのことでした。

しかし彼は自分のふるさとであるルンビニの町のいくつかの事実を知ります。

彼の知っているある女性は14人の子どもを出産し、うち7人は1ヶ月以内に亡くなったそうです。そしてそういう事例は特殊なものではなく、村ではよく起こる事件のひとつでしかなかったのです。

彼は村の女性たちに出産のメカニズムや子育てのノウハウがないことが原因であると考えました。

例えば授乳についての間違った知識です。「産後すぐの母乳は身体に悪い」という考えがあるようで、産後数日は牛乳をあげるそうです。せっかく栄養抜群の母乳があるのに、それをあげないなんてもったいないし、いきなり牛乳をあげても赤ん坊によくありません。

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また、子どもの下痢についての知識です。「下痢は水分の取り過ぎが原因」であると理解しているようで、赤ん坊が下痢を起こすと、水分をあげなくなるそうです。下痢になると水分不足になりますので、むしろ水分を取らせた方が良いのでしょうが、それをしません。結果として下痢が悪化し亡くなる子どもが多いそうです。

もちろん悪意があるわけではありません。赤ん坊のために水分をあげないのです。知識がないことで起こる悲劇です。

この事実を知ったとき、サキャプッタさんは「女性の教育、特に妊娠/出産/子育ての知識をつけることが、結果として子どもを守ることになる」という結論にいたります。

村の生活を守りたい、村の人たちを守りたい、そのためには教育が最も大切なことだ、と彼は学校の立ち上げを決意し、もっともやりたくなかった「教育者」の道を選びます。

青空学校から始まりました

サキャプッタさんは資産家でも何でもなく、僧侶です。お金はありませんので、初めは青空学校から始めました。下の写真が青空教室を始めた2002年の様子です。

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初めて生徒を集めたとき、サキャプッタさんは驚愕したといいます。

彼は学校の立ち上げに向けて、教育について勉強していましたし、教育について自信があったと言います。しかし、実際に集まった子どもの中にはパンツさえ穿いていなかった子もいたそうです。貧しかったというよりも、局部を隠すべき、という認識さえなかったんですね。

そこでサキャプッタさんは学問的な勉強の前に、生活の基礎知識から教えたそうです。歯の磨き方や手の洗い方など……。

生徒のお腹が出ているのはなぜ?

ある日気付いたそうです。

どうも生徒たちの腹が出ている。もちろん貧しい子どもたちだから、食べ過ぎて贅肉が付いたとは考えづらい。

彼は医学書などから勉強し、栄養失調だろうと仮説をたてました。そして生徒たちの家族の生活を調査したところ、ひとつ問題に気が付きます。

例えば米です。ネパール人は米をよく食べるのですが、村人の多くが玄米を精米して、白米にして食べているのです。

「先進国の人たちは白米を食べるのだから、白米が身体にいいに違いない」

と、わざわざお金を払って精米していたのです。しかし、栄養素は玄米の方が豊富です。先進国の裕福な人はいろんなおかずから栄養を取るので、大きな問題ではないかもしれませんが、食べるものが限られている村人にとっては、本来貴重な栄養源だった玄米を “わざわざない金を使って捨てていた” と言えます。

それだけではありません。せっかく栄養価の高い豆を自分たちで作っているのに、それを売ったお金で、現代風の真っ白いパンを買ってきます。これも玄米と同じように、先進国の人が食べるのだから、ブラウンブレッドよりこちらの方が良いに違いないという認識があったそうです。

どちらも、せっかく自分たちで良い食べ物を持っているのに、間違った知識や思い込みで、栄養価の少ないものに変えてしまっている例です。サキャプッタさんはカナダに行った際に「カナダでもブラウンブレッドや玄米が売られている。真っ白いパンや白米だけを食べてるわけじゃない」とスーパーでのパンや米の売り場の写真を撮ってきて村人に見せたそうです。

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すべてが解決したわけではありませんが、こういった活動を経て、少しずつ村人にも浸透しているのだと言っていました。

校舎が建つ

初めは青空教室で始まりましたが、その活動を知った人々から寄付が集まるようになります。

村人から土地を寄付されました。そしてタイから校舎を寄付され……と今では3つの校舎と先生たちのオフィスまで建てることができました。今でも青空教室をやっていた木は残っています。

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今でも継続的に教育のために中古のパソコンを買い集めたり、周囲の土地を買い足したりしています。

家が更に遠くにあり、ここまで通えない子どもたちのために、サキャプッタさんはもうひとつ学校を作りました。そちらはそちらに住む人たちに運営を任せ、地元の人による、地元の人のための学校にしました。

地域が支える学校作り

彼の凄いところはこのあたりにあると思っています。

持続可能性やサステナビリティとよく言われることを、徹底的に実行しようとしているのです。他人からの寄付やボランティアで運営しても、寄付が途絶えたり、ボランティアの人が去ってしまったら、運営が滞ってしまいます。そこで彼は地元の人たちが、自分の力で運営することを目指しています。

もちろんいきなりは無理なので、今は外部からの寄付・ボランティアなどに手伝ってもらい、自分もそうとうな労力をかけてプロジェクトを進めています。しかし10年もしたら、自分がいなくても回る学校にしたいと言っていました。

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静かに熱いサキャプッタさん

サキャプッタさんは決して情熱的な語り口調の人ではありません。静かに、一言ずつ噛みしめながら話をします。また、思いつきで何かを実施している人ではありません。何かに気付いたら、徹底的に勉強し、自分なりに仮説を作り、アクションを起こします。

例えば彼は世界の学校について勉強しているそうで「日本では学校で靴を脱ぐらしいね。それはうちの学校でもぜったいにやりたいんだ」と語っていました。

何か手伝えることはないのかな?

たった1日の出会いでした。詳しいことは何も知りません。

しかし、彼の考え方、そして実際にやってきたことの一つひとつが胸に染みます。目が覚めるような思いとはこういうのを指すのだな、と振り返って思うのです。

ぼくらは旅の途中です。

それは物理的に「旅行をしている」という意味でもありますが、精神的な意味合いも強いのです。旅を終えたら何をするか? 今後の人生をどう生きるか? そういうことを考える毎日が、旅行的だと思うのです。旅を終えるまでに「自分がやらなければならない」と思えることを見つけたいと思っているのです。

サキャプッタさんとの出会いは、そういう自問に対するひとつの答えを示唆しているようで、絶対に忘れられない出会いになりました。

<参考>
Peace Grove Institute
Metta School

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