他人事とは思えない……ぼくがチベットについて思うこと

ぼくらのチベットとの出会いはインドのブッダガヤでした。そこで出会ったチベット人家族がステキで、ブッダガヤにやってくるチベット人僧侶たちがステキで、どうしてもチベットに行きたい! と思ったのがきっかけでした。調べてみると、ぼくらが思う以上に中国の弾圧が酷く、旅行客でさえも「ダライ・ラマ側」と見なされると、国外退去、あるいは逮捕、ということになりかねない状態だと知りました。

それならば、とやってきたチベット亡命政府のあるダラムサラの旅もこれで終わりです。締めくくりに、このダラムサラの旅とチベットついて思うことをまとめてみたいと思います。


素朴で健気なチベット人

ぼくらが最初に出会ったチベット人はブッダガヤにあるチベット料理屋さん “Tibet Om Cafe” を経営する家族でした。

そこは本当においしいレストランで、今でもチベット料理として食べたレストランの中で1番おいしいのでは?と思うほど。そのお店は飲食店でありつつ、チベットの土産物も売っており、今思えば土産物のセンスもかなり上位に入る気がします(ブッダガヤにいたころは「ダラムサラに行けばきっともっと面白い土産物があるよ」と思っていたけど、結局あそこが1番だった気がします)。

そこでは女将さんであるお母さんが店を切り盛りしていて、若い子たち(子どもや従兄弟)が接客をしています。周りのインド人のレストランに比べてはるかに、静かで、目が行き届き、ホスピタリティに満ちたお店でした。

「あなたたちと出会ったチベットに行きたくなったよ」と女将さんに訊ねると
「いいところだけど、大変よ。中国を批判するようなSNSの投稿などがあると、VISAが降りなかったりするから」と寂しそうに言いました。
「わたしたちはオフシーズンになると、ダラムサラに帰るの。チベットみたいにいいところよ」

彼女の話を聞いて、“それならばダラムサラに行こう” と決意したわけです。この時も、ダラムサラで出会ったチベット人たちにしても、中国を(とくに中国人を)批判する言葉は一切ありません。「中国政府」と「中国人」をしっかり分けて捉えているんですね。これはダライ・ラマ法王の功績でもあるのかもしれません。彼も中国人のことを一切批判しませんから。というか、誰のことも批判していないです。

ダライ・ラマ法王のメッセージでもある “非暴力による平和” という言葉が広く、心に浸透しているのを感じました。これは日本人にも浸透していなければならないメッセージです。

銃はたしかに強いけど、長期的には非暴力による平和が勝つ

ダライ・ラマ法王の講演を見たときのメッセージです。

参考:感激! ダライ・ラマ法王の講演を拝聴いたしました

銃は確かに強い。銃を向けられれば人は服従し言うことも聞く、国は一時的に管理され、統一され、誰かの思うがままになる。もしかしたらある種の平穏も得られるかもしれない。だけど誰が幸せになるんだろう? 銃を向けられた人の心には恐怖と悲しさが満ち、銃を持った人の心にも罪悪感が残る。そもそもその銃を持った人だって、その人より更に強い権力で押さえつけられてやっているわけで、望んでやっているわけじゃない。本人は「望んでいる」と思っているかもしれないけど、心の底から銃を人に向けるのを楽しめる人なんて多くない。実際「戦争が終わった今でも殺してきた人たちに対する罪悪感がある。あのときはどうかしてた」と嘆く日本軍兵の言葉を聞いたことがある。

銃を持つ人も、銃口を向けられた人も、ストレスなのだ。長い目で見てこれが成功するわけがない。

「でも、わたしが生きているうちに非暴力が勝つところを見られそうにない……」

そうこぼしたダライ・ラマ法王の顔は、寂しそうであると同時に、次に言った「だから、君たち若い人ががんばらなくちゃいけないんだ」という思いが切実な物であることを思わせた。

歴史を振り返れば戦争は当たり前の物

歴史を振り返れば、戦争など当たり前のようにありました。侵略し、侵略され、ある文化は崩壊し、新しい文化が生まれました。それを “淘汰“ と呼ぶのは簡単です。過去は変えられないので、その是非や正当性は置いておくとして、僕が大嫌いな考え方のひとつとして

「こういう戦争・侵略は過去にもあって、長い目で見れば成功したものも多い。一時的に戦争で不幸になる人もいるけど、必要悪なんじゃない? ▶ つまりチベットの現在の弾圧も今は辛いだろうけど、長い目で見れば成功かもしれないわけで、結果は分からないんだから、他国がどうこう言うことじゃない」

一見、冷静で、客観的で、合理的で、長い目で見た平和を望んでいるように見えますが、ただの他人事にしか見えません。自分が弾圧される側じゃないから言えること。しかも大切な論理が漏れています。それは「チベットは独立・自立していた方が幸せかもしれない」可能性です。

過去の歴史を重んじて、侵略行為をよくあることのひとつとして捉えるならば、それに対する反抗心だって、よくあることのひとつ。銃の力で押さえ込む側と、非暴力で平和をうたう側のどちらの思想を重んじるか、という問題ではないでしょうか? 中国とチベットの問題というよりも、戦争以外の方法で、国際社会をよくしていこうとする、これからの人としてのあり方が問われているのではないでしょうか? 戦争放棄をうたう日本もこの土俵にどっしり乗っかっています。

決して他人事ではありません。

悲観的なだけじゃない

ダラムサラを見る限りでは、チベット人は決して悲観的になっているわけではなりません。

今この状況でも、置かれた環境なりに少しでも平穏に生きていこうともがいています。ダラムサラでも、チベット人は観光客から英語を学び、インドの制度の中で、のびのびと生きています。もちろん辛いこともあるのでしょう。しかし、ただ嘆いているわけじゃない。

ただ見て知るだけでもいいと思う

ぜひこれからインドを旅する予定の人は、ダラムサラにも行ってみてほしいです。

チベットに行くのは大変だし、それなりに強い動機がないと難しいでしょう。しかしインドのついでに、避暑地のひとつとして、足を伸ばしてみてはいかがでしょうか? そこで数日間でもチベット人と触れあい、ちょっとだけ興味をもってみたらいいと思います。

支援するとか、ボランティアするとか、いきなりそういう意識にならなくていいと思います。

「へぇ、チベットって大変なんだね」

と友だちとでも雑談してみることが第一歩かと。

おわりに

自分なりにチベット問題に対して少しでもできることがあればやりたいと思いました。

今はただの旅人で、零細ブロガーでしかありませんが、それでもこうして書くことで興味を持ってくれる人がいてくれれば、と思うのです。

高い山の上に住み、深甚な仏教の国であるチベット。本来なら、それだけで注目に値する場所です。チベットについて何か知っている人がいたら教えてください!

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