シャッターを切ることさえためらう ユダヤ人強制収容所を見学

「ドイツの悲劇」と言えば “ドイツ・ナチスによるユダヤ人大量殺戮” でしょう。ぼくらは強制収容所のひとつを見に行きました。ナチスによる大量殺戮とは何だったのか? 強制収容所とはどういう場所なのか、心を静めて書いてみたいと思います。

しかしね、この問題。根深く、幅広く、研究者によっても意見が分かれる部分が多いのです。正しく語る自信はありません。少なくとも、読んでいる皆様が考えるきっかけになれば、と思うのです。


ホロコーストというもの

ユダヤ人大量殺戮のことを “ホロコースト” と呼ぶことがあります。この言葉がまた微妙でして、小さな誤解と、ときに大きな誤解を生むことがあります。英語にすると説明しやすいので、見てください。

  • The Holocaust(定冠詞つき):ナチ党による、ユダヤ人大量殺戮を指す
  • holocauset(定冠詞なし):ユダヤ教の燔祭という獣を丸焼きにして備える儀式や、広い意味での大虐殺、大破壊、全滅を意味する。

上のふたつは会話の文脈から区別できるでしょう。しかしこの言葉にはもうひとつ大きな誤解を生むポイントがあります。というのはホロコーストという言葉の由来です。これは上に書いたように、ユダヤ教の儀式の名前なのです。ホロコースト=「ユダヤ教徒が獣を焼き、神に捧げるという神聖な儀式」です。この考えをナチ党による大量殺戮に当てはめると、「ナチ党はユダヤ人を焼き、神に捧げるという神聖な儀式」であるとも言え、ナチ党の行為を正当化する意味合いを持ちます。

もっと簡単に言えば「宗教的儀式の名前を残虐な行為の呼び名として使うなど考えられない」という意見もあります。だからこの記事では「大量殺戮」と呼びますが、平均的な日本人がこういうことを知っているケースも少ないので、ホロコーストという言葉を使うことが悪いとは思っていません。ぼくもこの記事を書くにあたって知ったことです。

ユダヤ人の大量殺戮とは何だったのか?

簡単に用語を挙げると

  • ナチス・ドイツ = 国家社会主義ドイツ労働者党が政権を持っていたときのドイツの国名(1933〜1945)
  • 国家社会主義ドイツ労働者党 = アドルフ・ヒトラーをトップとする政党。ナチスやナチ党と呼ぶこともある。国家社会主義、反ユダヤ主義などを掲げていた。第二次世界大戦の敗戦により解散(1920〜1945)。

単にナチスと言った場合、後者を指すケースが多いように思います。

さて、この事件は何だったか、詳細には議論が必要でしょうが、ここでは「ナチ党によるユダヤ人の迫害から始まり、強制労働を経て、大量殺戮に至った」という、揺るぎない事実だけ挙げておきましょう。

※殺された人の数、その方法については諸説あります

なぜユダヤ人を殺したか

なぜナチ党はユダヤ人を殺す必要があったのでしょうか? 大量の人を殺すのは、金も労力もかかるわけで、理由がなければいけません。これも諸説あります。その中で、非常に分かりやすい説明を見つけたので、引用します。

(1)ナチスの人種理論によれば、「諸民族は、その血統により格付けされ、最も優秀なのがドイツ人(ゲルマン民族)で、最も劣等なのがユダヤ人である。では、民族の優秀性は何で決まるか? それは、戦争に強いかどうかで決まる。」
(2)ところが、ドイツは第1次世界大戦で敗北した。
(3)この矛盾にナチスは答える必要があった。そのため、第1次世界大戦でのドイツの敗北原因を以下の2つとした。

<1>ドイツは本来負けてはいなかった。敵国に深く進 撃していた。しかし、後方で卑怯にもユダヤ人が裏切ってドイツ人を突き刺した。
<2>ドイツの敗北は神がドイツ国民に与えた懲罰である。神は、優秀なゲルマン民族を創造したのに、ドイツ人はおろかにも、神の意思に反してユダヤ人と接触し、通婚し、血を汚した。

従って、ドイツがなすべきことは「ユダヤ人の排除によりドイツ人の純潔を守ること」と結論付けました。
引用元:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1582605.html“>ドイツのユダヤ人虐殺の理由は?

数ある理由のひとつかもしれませんが、なるほどと、思える内容です。

ザクセンハウゼン強制収容所記念博物館

今回ぼくらが行ったのは、ベルリン中心部から電車で1時間ほどの距離にある “ザクセンハウゼン強制収容所記念博物館”。ガイドブック的には駅からバスに乗るように案内されていますが、歩いても20分ほど。歩ける人は歩きましょう。

「歩きましょう」というのは、なにも健康のためではありません。道中で見ることになる強制収容所の周りに広がる “ただの住宅地” に目を向けて欲しいのです。小ぎれいな家、花木が整えられた庭、静かな街路、まったくをもって強制収容所にふさわしくもない、むしろ住みたくなるくらいの住宅街。そのど真ん中に、この強制収容所は位置します。


ここは知識を溜めに行く場所というよりも、感じに行くところです。一つひとつの施設を見て、今は閑散とした場所に、やせ細ったユダヤ人たちがギュウギュウと詰め込まれていた、あの当時の状況を想像しなければいけません。

さて、その強制収容所に到着しました。殺風景な景色が胸に痛みます。小雨ぱらつく曇り空。空までコンクリートで覆われているような、冷たい光景です。

入り口を抜けて少し歩くと、このように強制収容所の本当の入り口が見えてきます。向こう側とこちら側。たったひとつの扉で仕切られています。それも牢獄のような柵。透けて見える向こう側が強制収容所で、こちら側は自由の世界です。

全体像としては、巨大な野球場のような形を想像するといいでしょう。上の入り口を抜けると扇状に広場が広がっていて、等間隔に収容された人の施設が並べられています。

下の写真で見られるのがそうした収容施設のひとつ。こういうのが当時は大量にあったわけです。

この強制収容所の外周はどうなっているかというと、コンクリート塀に覆われ、やはり等間隔に見張り塔が建っています。ここに監視員がいて、逃げようとする者がいれば、捕獲、射殺などの対応が取られます。あなたが監視する側に立つか、監視される側に立つか、それは生まれで決まります。ユダヤ人か否か。

施設の内部は一層生々しいものがあります。下の写真、3つの扉がありますが、左からそれぞれ、トイレ、シャワー室、居間・寝室へと繋がっています。この日、この場にはほとんど人はおらず、それにもかかわらず、写真を撮るのは非常に心苦しいものがありました。一眼レフのシャッター音が鳴るたびに、なにか取り返しがつかないことをしているような、針で表皮を擦るような思いがしました。

トイレです。

シャワー室。恐らく、丸い噴水のようなところに水を溜めて、体に水を掛けたのでしょう。あるいは湿らせたタオルで擦ったのかもしれません。この扉に書かれている恐ろしい事実が書かれています。なんとこの広くもないシャワー室に100人に及ぶ人を詰め込むこともあったとか……。トイレやシャワーでさえ、ここに閉じ込められた者にとって安息のばとはなりませんでした。


寝室です。ひとつのベッドにひとりが寝られるというものでは、もちろんありません。ここで寝泊まりした人の心中を思うと……。

この強制収容所の入場料は無料。ドイツが自国の恥部とも言える、この収容所を無料で公開していることがまず凄い。しかも美化するのではなく、むしろ血にまみれた歴史を見せようという努力さえ感じます。その苦労はきっと、できたばかりのかさぶたをを剥がし続けるようなものでしょう。しかしその血を見ることで、過去を反省し、よりよい未来を作ることだけが、時代を引き継ぐ人の役目なのではないでしょうか?

繰り返しますが、この収容所に入れられるかどうかは、本人の意思や努力とは関係ありません。たまたまそう生まれただけ。いま、こうして自由にブログを書けるということだって、ありがたくも自由の時代、自由の国に生まれた運によるものです。

しかし時代は変わります。国も変わります。今は良くても、明日は不自由の世界が待っているかもしれません。そうさせないためにできること。それは国や権力が間違ったことをしていないか、監視し、意見することです。

平和は偶然やってきたわけではありません。

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