(ニュース)日本人として初めてチベット入国を果たした河口慧海の日記が揃ったって!
ご無沙汰しております。
旅を終え、なんとか生きています。時々旅のことを思い出しては「おもしろかったなぁ」と思う日々です。
河口慧海の日記!
そんな中、最近、個人的にはおもしろいニュースが飛び込んできました。
河口慧海のチベット脱出日記発見…滞在記そろう(読売オンライン)
河口慧海という人をご存じでしょうか?
このブログでも《オススメの旅行記》として紹介したことがある『チベット旅行記』を書いた僧侶です。
わたしが今まで読んだ「旅行記」と呼ばれるもので、ダントツでおもしろいです。
時代は1900年頃。僧侶の河口慧海は仏典の原典を探し求めていました。その仏典がチベットにあると知り、河口慧海はチベットを目指します。しかし、当時のチベットはまだ鎖国しており、中国人以外は入国できません。イギリス人冒険家達が入国を試みたことはありましたが、それも失敗に終わり、だれもが「チベット入りは無理」と諦めている、そんな時代でした。
そんな中、河口慧海はまずインドに行き、(たしか)半年か1年ほど滞在し、チベット語を学びます。そして、アジア人顔を利用し、中国人のふりをしてチベットに徒歩で密入国を試みるのです。
インドからチベットへ行くためにはヒマラヤ山脈を越えなければいけません。
登山家でもない河口慧海が、標高5000mを越えるような場所を徒歩で、越えていきます。
そして長い長い期間を掛けてチベット入りを果たし、中国人のふりをして、チベットの仏教大学に入学。医者のふりをして、なんと当時のダライ・ラマとの面会まで果たすほど、チベットの重要人物になっていきます。
そして現地で河口慧海が日本人であることがバレてしまい、慌てて脱出を試みます。
――とまぁ、とにかくすごい人なのですが、今回のニュースは「その河口慧海がチベットから脱出するときの日記が見つかった」というものです。この日記は先ほど紹介した『チベット旅行記』の元となったわけで、当時のチベットや河口慧海のことを研究する人にとっては貴重な材料になるのでしょう。
旅をするとニュースがおもしろくなる
今回のニュース、もし旅をしていなければ、まったく注目もしなかっただろうと思います。
旅を終えた今、新聞の国際欄がグッと興味深いものになりました。
「キューバで……」
「インドで……」
という見出しを見ただけで、それらの国の様子が頭に浮かびます。人々の顔付き、街の様子、食べ物、文化、すべてを知ったとはとても言えませんが、前よりもちゃんとイメージできるので、ニュースを読んでいても、他人事とは思えなくなるんです。
旅をして良かったなぁ、と新聞を見るたびに感じます。